大人への想い(1)

永い人生を過ごし、最後に幸せだったなーと思える為には、悠悠自適となった時の過ごし方が大きく影響すると、私は思っています。
また、もし合気道に於いて心(精神)の面を追及して稽古に励めなかったら、これほど長く合気道をし、更に、住吉塾を構えることは無かったかも知れません。
翁先生や直弟子の方が、翁先生が大事にされたことを残されていなければ、今になっても黙々と一人稽古をしたり、精神的な深さを求めたりしなかったと思っています。

ここでは、何故昔のお年寄りが元気だったか、素朴に見てみたいと思います。 物が豊かになり、生活が便利になり、核家族化することにより、知らず知らずに精神的に貧しく、そして、孤独で不安な生活に落ち込んで行く理由が見えてくる様に思います。

昔のお爺ちゃん、お婆ちゃんは、何時も早起きで、元気で、何でも知っていた。
子供には恐い存在だったが、一番頼りになった。
何時も忙しく、動き回っていた。 お爺ちゃん、お婆ちゃんしかできないこともたくさんあった。
お祭り、正月、盆の時のお寿司、お餅、様々な料理、飾り付け お爺ちゃん、お婆ちゃんの出番だ。 朝早くから起きて、楽しそうに動き回る。 活気もあった。 子供であった自分もワクワクして来て、何か楽しくてしょうがなかった。
畑や田も、お爺ちゃん、お婆ちゃんの活躍場所だ・・・田植え、稲刈り、家族総出でするが、やはりお爺ちゃん、お婆ちゃんが中心だった・・・ 田畑で皆で食べるおにぎりは、特別においしかった・・

この様な生活をしている田舎では、寝たきりのお爺ちゃん、お婆ちゃんは、近くの何処にもいなかった。 また、眠れないからと言って睡眠薬を飲んでいる人なんて聞いたことが無かった。
医者や学校の先生を、お爺ちゃんやお婆ちゃんは先生さまと呼んで、特別に尊敬していた。 それから、お寺の和尚さんも尊敬していた。 よそ様に迷惑をかけてはいけない・・・と、何時も言っていた。
お医者さんは、どんな悪天候でも往診に来てくれた。 子供には恐い存在だったが、なるほど先生さまと言われるだけのことは、あった。

眠れないなど・・・何かがおかしい・・・眠れなくする元があるのが、おかしい・・・
眠れなくするもとを正す必要があるのでは・・・?

さて、定年を迎える頃は、夫婦共に身体にガタが来る頃でもあります。 夫、ないしは、夫婦で働いている内は、お互いに生活リズムがあって、問題なく過ごせるかと思いますが、定年となり何時も一緒となると、うっとうしくなる夫婦が圧倒的に多くなるのが通常です。
身体にガタが来て薬に頼りがちになり、更に、気分を晴らす処が無くなってくれば、先の生活は見えています。 このころになると気力も急に衰えてきます。
40代、50代の頃に60歳以降の自分を想像できないのが問題を大きくしているのですが・・・

確かに今は、昔ほどお爺ちゃんやお婆ちゃんの活躍する場所は、無い。 とくに都会では無い。
しかしながら、老人介護の世話を受けず、痴呆症にもならず、死ぬまで元気で自分がしたいことをすることは、出来ます。
おいしい食事をして、気持ちよく寝て、多くのことに興味を持って、生活を楽しむ・・・その為には、健全な精神と健全な身体が必要です。
40~50代で、合気道の稽古を自分の生活リズムに取り入れ、そのリズムで老後生活に入れば、楽しい生活が待っていると私は思っています。 それ故、心が豊かになる元を合気道の稽古時に話しているのです。
禊の合気道を志せば、自然に豊かになると、私は思っています。

禊を難しく考える必要は、ありません。 身体のよどみをなくし、心を正す。 もとを正すのです。 心正しからずや技また正しからず、技を学ばんとするものは心を学べと、偉い先生が言われた。 その通りだと思います。 人を幸せにするのは、心の向け方(持ち方)ひとつです。 幸せは外から来るのでなく内から来るのです。 それに気づける自分を創り上げるのです。 心が明るければ光を放ちます。 ですから、心の正しい人の技は光るのです。 そして、周りも癒されるのです。 物や道具で豊かになることも必要ですが、それを利用する人の心が澄んでおり、何時も光を放つようでないと、物や流行に惑わされ、心が安らぐことは無いでしょう。

心を正すとは、どのような状態になれば、正した事になるのでしょうか?
見える世界(物の世界・個を中心とした世界)から、見えない世界を大事にすれば良いのですが・・・

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