大人への想い(2)

昔のお爺ちゃん、お婆ちゃんは何故生き生きとしていたのでしょうか? 周りから期待されていたから・・ 慣習や日々の生活に於いて何でも知っていたから・・目標があったから・・・大家族の中で中心的な役割を果たしていたから・・・ 色々とあるでしょう。
お祭りも、盆も、正月も、田植えも、稲刈りも・・・毎年、季節の移り変わりの中でめぐってきます。 大きな自然の循環の中でめぐってくるのです。 お爺ちゃんやお婆ちゃんは、自然に溶け込み、生きていたからこそ、無理が無く、控え目でありながら何時も光っていた。
特にお婆ちゃんは、朝、暗いうちから起きて食事の用意もし、田畑も行き、全てをしながら、食事は最後にし、食後のお片づけもし、そして最後にお風呂に入っていた。
たまに、およばれがあって、上げ膳据え膳の時は、本当に申し訳ないと手を合わせて感謝の気持ちを心から現していた。
また、日の出の太陽に拝み、お月さまに拝み・・ 日々も、自然の中に溶け込んで生活をしていた。
何時も何時も周りの家族の為にしているのに、死ぬまで一度も不満を聞いたことが無かった・・・
私はこんなお爺ちゃん、お婆ちゃんを尊敬している。
 
現代に於いては、昔のお爺ちゃん、お婆ちゃんの様に生きることは難しい。 歳をとってから、人の御世話になることなく、日々前向きで楽しく生きて行くにはどうしたら良いでしょうか?
本当の幸せは、外の見える世界(有限・物質世界)にはありません、自分の内側にある処の見えない世界(無限)にあります。 合気道開祖・植芝盛平は人々の幸せのために『真人養成の道』で、この内側を磨く方法を説かれました。 住吉塾・一般部に入会されますと、内側を磨く方法を解説したブログ情報を開示します。  
住吉塾一般部へ入会されて、体術(武産合気(たけむすあいき))、合気剣、合気杖の稽古をし、精神的には『真人の養成』を通じて精神も磨いて、日々前向きな人生を生涯過ごしませんか?

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