子供への想い(1)

生まれたばかりの赤ちゃんは、皆、澄んだ目をして輝いている。
どんな人も赤ちゃんには癒される。
皆、天使のように生まれて来ているのに、何故、小学校の中高年生や中学、高校になると、いじめや陰湿ないやがらせが発生するのであろうか?
私は体罰も一種のいじめだと思っている。 体罰をする先輩や指導者、体罰を受ける側、皆、人としての成長がなされていないと思っている。 皆、人として育成されていれば、このような問題は起きていないと確信している。
問題が起きると当事者(加害者、被害者、指導者、教育者)ばかり問題視されているが、何故、育ててきた親が一番の問題者であることを指摘しないのか、私には理解できない。

子供に問題がある時は、基本的に親の育て方に問題があると思っている。 子供は悪くない。 親が悪いと思っている。
子供には小さい時から自分で考えさせ、自分に係ることは自分でさせ、やったことには責任をとらせる。 
自主性を育て、自らの判断で行動させるが、親から見て良くないことをしたら、身を呈して徹底的に叱ることも真に大事である。
褒めることも大事だが、褒めてばかりでは、強い子に育たない。 打たれ強く、人に優しく、自分に厳しい子に育てる為には、叱る時は全身全霊で叱ることも大事である。
親の想いを込めて全身全霊で叱れば、必ず子供はその深い愛に反応します。 それが親子、血のつながりなのです。 

昔のお爺ちゃん、お婆ちゃん、お父さん、お母さんは、優しくもあったが、厳しく怖い存在でもあった。 叱られた時は、反発することはしなかったし、体力差で勝てるかどうかなど考えもしなかった。 本当に悪い時は、ぶたれもした。
小さい頃から、尊敬できる存在であれば、自分が悪い時、そのような人に暴力で立 ち向かうなどあり得ないことだと思う。
悪い時に真剣に身を呈して叱らないから、自分に甘い理屈だけこねる、どうしよう もない子になってしまうのです。

なぜ、最近の親たちは真剣に叱らないのだろうか? 自分が小さい時に叱られたから、我が子は叱らない。 小さい時に充分な物を与えられていなかったから、我が子、我が孫には多くのお金や物を与えるのだろうか? そんなことでは、自己に厳しく、人に優しい子は育たない。
心の豊かさと、物の豊かさに順序をつけるなら、どちらが大事であろうか?
物は足るを知ると言う姿勢が大事だと思う。 心は澄み切り、人として豊かであり、何事にも喜びを感じて取り組めることが大事だと思う。

まだ小さい我が子と友達感覚で接することは、私は賛成しない。 子供が自分自身に対して甘かったり、人としてやっては行けない事をした時は、泣いても徹底的に叱ることが大事です。 親の自分が自分自身に自信が持てないからと言って、子供に友達感覚で接することは、良くない。 本当の厳しさは、奥底に本当の優しさが無ければ出来ないことです。 親が自分自身に対しても厳しくすることが、まず第一です。 そうであれば、厳しく接しても、優しく子供を見守れます。子供は、必ずその親の偉大さを語らずとも後ろ姿で感じ取ります。 私は、合気道を通じて子供たちをそのように育てたい。

合気道を通じて、子供を育成し始めて16年経った。 最初の子は、北野高校、防衛大と進み、現在海上自衛隊の一尉(昔の大尉)となっている。  住吉塾は、現在3歳以上の子供を預かり、12歳以下は少年部で、13歳以上は一般部で稽古をしてもらい、育成に励んでいるが、私がどの様な想いを持ってしているのか、以下に述べてみたいと思います。

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