つぶやき

つぶやき

・結びの現象を生じさせる為には、想い(意思)が必要となる。 想いは推進力でもあり、現象力でもある。 この想いが神の意志と一致すれば、成長・発展するが、一致しない場合は、衰退、又は、消滅する運命にある。


・神様は生命(永遠・無限のエネルギー)を用いて人間、動物、植物、鉱物や宇宙を創っている。 鉱物を含めて総てが生命あるものである。 人は加工はできても生命を人工的に創れない。 何故だと思いますか?


・では、人間は生命を新たに創り出すのは無理かと言うと、わたしはそうは思わない。 自分の外なるもの(例えば、電子機器とか道具、機械等)を利用した場合は、生命を創り出すことはできない。


・人には、神様の分け御魂(霊)としての魂がある。 これを使えば、永遠なる生命より、形ある生命を創り出すことが出来る。 これを為すためには、魂の扉を開く必要がある。 扉の鍵は、真(まこと)一筋である。


・真は理性、智慧・知識では生まれない。 理性・智慧・知識は方向を定めることはできる。 方向とは、自分の外で無く、裡(内)なる方向である。


・わたしは、妙精な氣、質料、無限の生命は別表現であって、全て同じものを指していると思っている。 全て無限であり、この顕界とは別の処に存在している。


・形あるもの(顕界の物質)も、形なきもの(顕界からは見えないが全体の一部として存在する、霊(魂)も含む)も、この妙精の氣があるが故に存在が可能になっているとわたしは思う。


・混じりけ、穢れの無い純粋な妙精な氣(無限の生命)から、穢れ無き想念より創り出された形あるものは、やはり純粋なものである。 が、個の本能・属性(五官の働き)が中心となると、混じりけ、穢れが発生し蓄積されて行く。


・この世(地上世界・現界・顕界)は、単なる予備段階だと確信したら、皆さんは今を大事にしますか? それとも、物の世界でしたい放題しますか? わたしは知れば知るほど、安心・穏やか・幸せを感じる。 歳とともに感じる。


・合気道開祖直筆「合気道 巻之壱」の解釈が英訳されて、Makotobito(Aikido)に載った。 一言で言えば、人が真(まこと)を通じて如何にして人としての完成を達成するかであるが、その道は顕・幽・神と、まことに永い道程である。


・岩戸開きは如何にも重く、難しい様に見えますが、心の向きと努力の積み重ねで、いいところまで行くかも知れません。 まずは、何時も自分の内側を見る様にしよう。


・岩戸開きの方向へどの様に進むべきかイメージ出来ても、心が常にそちらを向くかと言うと中々難しい。 今の今に焦点をあてようとしても過去の経験、記憶が蘇ってしまう。 感官のしぶとさよ・・・まずは、足るを知るの実践。


・私は信者では無い。 神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教等を信じてはいない。  只、神様の存在は信じている。 生命を探求して行くと、見えない世界、大いなる存在が無いと説明が出来なくなる。 私はそれを神様と呼ぶ。


・10年以上一緒に稽古して来ても、求めるものが違うと、一緒に稽古出来なくなる。 本当に残念で寂しく、悲しい。 でも、私はまことを求めて進みたい。 古い方が居心地が良いかも知れんが、何時の間にか淀むものである。


・世の主流が変わり、その変化について行こうとすると、自分のスタイルを変えるため、一度は実力が下がる。 しかし、その改良(挑戦)によって、進化・進歩して行ける。


・長く稽古したからと言って、それにこだわるべきではない。 稽古した内容を披露するのは楽だし、不安は無いし、誇れる。 だが、自分自身は過去の状態に留まっていることを忘れてはならない。


・今に生きると言うことは、変化の中で生きると言うことである。 変化に流されてはいけない。 表の変化に惑わされてはいけない。 自分の内部の変化を少しでも『まこと』に近づける生き方をしよう。


・人類は何故神に爾せられて創られたのか? 裡にある無限の愛と生命エネルギー利用し、裡なる創造力を使って、調和の下に新たな生命と形を地上界に創り出す為に人類は創られた。 と言うのが、私の結論です。


・真(まこと)の道を実践すると言う事は、つくづく難しいと思った。 人の為と思って言ったり行動したりしても、何処かに自分の得になることを意識している自分が解った。 それも自分で気付いた訳ではない。


・自分がしていることを理解してもらおうとか、こちらが良いと指導したり誘導したりすると相手の自在性を奪う。 例え、強制しても人は変わらない。 去るだけである。 変わろうと思ったら、ただひたすら、コツコツ努力するだけだと思う、しかも、命がけの覚悟でしなければ、結局は変われない。


・人はあいまいが好き、人を傷つけないし、自分も傷つけない。 だが、その様な生き方で、本当に生れて来て良かったと最後に思うであろうか? 自分の人生を振り返って見ると、ある人に支えられて頑張れた場合もあるが、自分にとって厳しい選択を取らされて成長した場合もある。


・人に何も言われないで自ら省みて、自分をあるべき姿に変えて行く事は本当に難しい。 だが、真人を目指すならば、人気取りに走らず、多くの人が去ったとしても、自己に厳しく、吾勝の精神で進むことが、人生上やはり重要と思う。


・元気の無い人に元気になれ! と言っても、元気になれれない。 元気は外から得られるものではなく、内部から湧き上がってくるものです。 悩み事があったり、気が入らない時、どうしたら元気になれるであろうか?


・しなければならないこと、した方が良いと思っていること、そのことを一生懸命する。 する時は、他のことを一切考えない、没頭する。 不思議なことに没頭すると、疲れるところか、かえって元気になる。


・恐れ、悲しみ、落胆・・・全て、自分の中で創っている。 本来、何かをする時、その中に『まことごころ』があれば、喜びが生じる。 喜びは、元気と美(光)を生じさせる。 これはお金では買えない絶対的なものです。 元気はお金では買えない生きる喜びだと思います。


・人が留まろうと留まらなかろうと、大自然の全てが変化し、成長して行く。 変化、成長は喜びである。 春が来て、桜が咲き、雪柳が咲き、畑の野菜も芽吹く、何故かワクワクし、喜びが湧き出て来る。 やはり、真善美だなーと思う。 心と身体が健全であれば、幸せが湧き出てくる。


・何かに捉われることなく、何かに偏ることなく、自然に生きようとすると、自然が光り輝いて見える、空に突き出てまぶしく輝く桜、土の中からこんにちわっと顔を出すジャガイモの芽、春の陽光は喜びを運んでくれる。 嬉しい。


自分でコメントするのは自画自賛と思うでしょうが、数年に及ぶつぶやきを改めて読んでみると、生成化育を分かり易く、あらゆる方向から記載していると感じた。 つぶやきは心奥底から出ているために、私には神様の想いの様に感じる。 長い文なのにとても短く感じ、もっともっと読みたいと言う感動(衝動)がある。 この文を長いと感じる人、短いと感じる人、それによって、現在の自分が外を向いているか、裡を向いているかが解る様な気がする。

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